「久しぶり」
コロナでおあずけになっていたのもが何かと聞かれば、旅行という方も多いだろう。当方もそろそろいいかなと思い、1泊2日で近場の温泉に出かけた。
夕食の前に一回、寝る前に一回、翌日の午前中に二回と、いつもより多めに湯につかったのは、ある種の「飢え」のせいか。湯の合間、随筆を集めた「温泉百話 東の旅」なる本を開く。現代のあわただしい温泉旅行とは違う姿がそこにある。
作家岡本綺堂によれば、かつての浴客(よっきゃく)は宿につくと、両隣の部屋へ挨拶にいった。大抵はてぶらでなく、甘納豆や金平糖などをお盆に載せて取らせる。湯治気分の滞在は、短くて一週間、長ければ一ヶ月にも及ぶからだ。
お互いに打ち解けて風呂場や廊下であえば、言葉を交わした。帰っても交際を続けることもあったと、懐かしそうに綺堂が書いたのは昭和初めである。そんな風情は一泊や二泊では得られない。「黙浴」(もくよく)なることばまであるコロナ禍ではなおさらである。
要請の名の下で、暮らしを縛ってきたものが緩んできた。飲食店などの時短が取り払われ、久しぶりに遅くまで飲んだという方もいるだろう。「グループは4人内に」というようなルールを守りながら。
先の本では作家田中小実昌(こみまさ)が、旅先で知らない飲み屋に入った楽しさを綴っている。最初は心細いが、店の常連客に話しかけられると「オデンの湯気みたいに、とたんに心をあたたかくとかしてくれた」。初めてあってもお酒を挟んで自然に打ち解ける。そんな場面が戻ってくればいいだろう。
コロナでおあずけになっていたのもが何かと聞かれば、旅行という方も多いだろう。当方もそろそろいいかなと思い、1泊2日で近場の温泉に出かけた。
夕食の前に一回、寝る前に一回、翌日の午前中に二回と、いつもより多めに湯につかったのは、ある種の「飢え」のせいか。湯の合間、随筆を集めた「温泉百話 東の旅」なる本を開く。現代のあわただしい温泉旅行とは違う姿がそこにある。
作家岡本綺堂によれば、かつての浴客(よっきゃく)は宿につくと、両隣の部屋へ挨拶にいった。大抵はてぶらでなく、甘納豆や金平糖などをお盆に載せて取らせる。湯治気分の滞在は、短くて一週間、長ければ一ヶ月にも及ぶからだ。
お互いに打ち解けて風呂場や廊下であえば、言葉を交わした。帰っても交際を続けることもあったと、懐かしそうに綺堂が書いたのは昭和初めである。そんな風情は一泊や二泊では得られない。「黙浴」(もくよく)なることばまであるコロナ禍ではなおさらである。
要請の名の下で、暮らしを縛ってきたものが緩んできた。飲食店などの時短が取り払われ、久しぶりに遅くまで飲んだという方もいるだろう。「グループは4人内に」というようなルールを守りながら。
先の本では作家田中小実昌(こみまさ)が、旅先で知らない飲み屋に入った楽しさを綴っている。最初は心細いが、店の常連客に話しかけられると「オデンの湯気みたいに、とたんに心をあたたかくとかしてくれた」。初めてあってもお酒を挟んで自然に打ち解ける。そんな場面が戻ってくればいいだろう。